HODGE'S PARROT

はてなダイアリーから移行しました。まだ未整理中。

痛みは表象をもたない シューマンのピアノ五重奏曲第2楽章



Geheimagentさんのシューマンについての文章を読んでいたら、そこで凄い映像が紹介されているじゃないか!
ルノー・カプソン庄司紗矢香、ミッシャ・マイスキーエレーヌ・グリモー、ラース・アネルス・トムテルによるシューマンの《ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op.44》。凄すぎる面子だ──濃いというかアクが強いというか、楽器を持っていなかったらヤバそうな表情を臆面もなく見せながら、みんな音楽にのめり込んでいるし……。
僕はこのシューマンの作品が大好きで、特に第2楽章を聴くたびに胸が締め付けられるような、目頭が熱くなってくるような、何とも言えない気分になる。その第2楽章を貼っておこう。ここでも──Geheimagentさんが言うように──急激に激情が迸り、それが一転して天上的な平穏さに移る「落差」は比類がない。

2nd Mov: Schumann Piano Quintet (Maisky,Capuçon,Grimaud...)


わたしたちは誰でも奥深いところに痛みを隠していて、もはやそこには自分の手すらも届かない。ときに何かきっかけがあって扉が開くことがある。きっかけとなるのは、ある眼差し、記憶、音楽などだ。痛みというが、しかしながらそれは、もはや何も語るわけでもない言葉、あるいは沈黙を告げる音楽と同じように空虚である。
あるときシューマンは痛みを真正面から見つめたことがあった。「もし自分の痛みがどのようなものか聞かれたとしても、明確に答えは自分にはできない。痛みそのものだと思うのだが、それ以上に詳しく語ることなどはできない。」純粋な痛み、表象もなく、果てしなく繰り返される。シューマンの音楽にあっては終始語ろうとはせず、歌い、転調し、ときに口籠ることがあるだけの痛みだ。(音楽において言うことができるもの、それは苦しみの方である。たとえばショパン、そしてシューベルト。)


シューマンの曲を弾いたり聞いたりするとき、犯してはならない過ちがある。それは言葉によって名指ししたり対象化したりできるような感情、愛情、気分の表現をそこに聞き取ろうとする過ちである。わたしたちは感情をもつし、ある種の情動の動きのなかにいる。しかし彼の音楽はこのような文法に拘束されない。痛みの数量化、すなわち痛みはここで感じられたものではなく──痛みは表象をもたない──生と渾然一体となり身体の内部で鼓動するものなのだ。
シューマンを弾こうとすると苦しくなる。ほとんど身体的な苦痛だといってよい。シューマンは人を遠くに追いやり、追放し、一人にする。われわれは自己の境界線まで行かざるをえない。



(中略)



「なぜ」の冒頭の数小節を弾く者の姿は、ほかの人から見れば、茫然自失の姿、傷を癒そうとして舐める獣のようにも見えるだろう。





ミシェル・シュネデール『シューマン 黄昏のアリア』(千葉文夫 訳、筑摩書房) p.52-53

シューマン 黄昏のアリア

シューマン 黄昏のアリア





それと……シューマンの音楽が持つ豊富な着想/アイデアに関して言えば、有名な《ピアノ協奏曲イ短調 Op.54》を思い浮かべるのもよいかもしれないな。とりわけ、この楽曲が、ウルトラセブンの最終回『史上最大の侵略』で使用されたという出来事に注目して。
冒頭、ショッキングなオーケストラの強奏に導かれてピアノが和音を伴って下降する──スフォルツァンドが付与されている。次に打って変わって木管による静かで優しい調べ……ピアノがその雰囲気を引き継ぐ。その落差。
言うまでもない。この部分が、ウルトラセブン全作品の中でも最高に印象に残る場面──あの、モロボシ・ダンがアンヌ隊員に自分がウルトラセブンであることを告白する場面──で流れるのだ。シューマンの美しい音楽とともに、そのシーンが焼きついている人も多いだろう。さらにこのロマンティックな場面の後、ゴース星人が地球を破壊するミサイルを発射するのだが、ここでもシューマンのピアノ協奏曲が使用される。焦燥感を帯びたオーケストラの全奏だ。
そして、やはり忘れることのできない素晴らしく感動的な名場面、傷ついたウルトラセブンが最後の力を振り絞って、ウルトラ警備隊全員の援護を受けながら、怪獣パンドンを倒す場面──ウルトラセブン全体のクライマックスとも言えるだろう。それを感動たらしめているのが、シューマンの音楽だ。しかも何より凄いのが、ここでは、ピアノのカデンツァからコーダまで、音楽がそのまま途切れずに使用されていること。まるでシューマンウルトラセブンのストーリーを知っていてそれに沿って作曲したかのように。
これらが、あるクラシック音楽の「一つの楽章」によって成り立っているということ。シューマンの音楽がいかに豊富な着想に彩られているのかが分かる。

録音は古いが、ディヌ・リパッティカラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団のCDを挙げておこう。

Schumann & Mozart: Piano Ctos

Schumann & Mozart: Piano Ctos