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縮約言語『長い夜の果てに』



YouTube にバーバラ・ヴァイン(ルース・レンデル)原作の『長い夜の果てに』(No Night Is Too Long)の映像があった。カナダでテレビドラマ化されていたようだ。
↓のシーンはバイセクシュアルのティムとゲイのイヴォーのキスシーン……だと思う。

elevator kiss from No Night Is Too Long


[No Night Is Too Long]

ただこのヴァインの原作、男同士のシーンも濃厚であるが、それ以上に作者の文学趣味が濃厚なんだけど、それは省かれているのかな、と思う。舞台や登場人物の設定がアカデミックなので、会話にしても、非現実なくらいハイブローであるし……。例えば以下のように延々と続く創作科の講義とかね。

ほかのほとんどの授業もそうだったが、縮約言語という用語を初めて聞いたときには、何を意味しているのかわたしは見当もつかなかった。マルチンは嫌悪にも近い驚きを口に出しながら、我々の頭を整理させた。彼はこれまでもずっと、または学士の資格を取ろうと志してからこのかた、省略形の言葉をどのように書けば、散文の響きが精神的な意味における耳に不自然、もしくはくだけすぎていると聞こえずにすむか、この問題に悩まされ続けてきたようにも見受けられた。言葉を換えれば、英語の話し言葉に常に用いられ、したがって英語の散文にも使われる『don't』、『doesn't』、『didn't』といった短縮形をどう処理するのかがポイントなのだ。


『do not』はどうも堅苦しく、反対に『don't』は品性に欠けて粗暴で、いかにも通俗的に聞こえる。その結果、マルチンは問題の言葉を使うのを回避するシステムを苦心して作り上げることでようやくこの難題を切り抜け、我々にも同じ方法を実行するように期待した。マルチンはこの手法に取り憑かれていたのである。



(中略)



「真摯な作家たる者は怠惰になることはできないのだ」マルチンはそう口火を切ると、イギリス散文における同じ類の別の問題点をわたしの冒頭の文章を使って実地に説明した。「怠惰に堕している結果、きみはここに『didn't』を使っているじゃないか、ティム。しかし怠惰にならずに、その代わりに持てる知的能力をすべて傾注しようと決心していたなら、きみが陥っているように口語体をやたらに使うのを避けられたんじゃないのか?」

わたしにはわからなかった。と言うか、マルチンが満足するような考えを持ち合わせていなかった。問題の文章は次のように続いていた。『浜辺に立っていた少年は、長々と続く小石混じりの幅広い河原を横切り、次いで砂丘を、さらに続いて海水に濡れた平らな砂地を渡って海に向かった。船を見る機会に恵まれているとは夢にも思わず(didn't believe)、その船がいまなお存在し、ずっと以前に難破したわけではないとは思ってもいなかった(didn't believe)』。


わたしには何の難点もないように思えた。頭の中でこの箇所を復唱してみても、やはりそう思えた。エミリーが意見を訊かれるに及んで、かりに意見があっても、口に出したくないのが感じ取れた。マルチンが期待を顔に滲ませ、苛立たしさをかすかに覗かせて、膝に抱いた大きな黒猫を撫でていると、エミリーがわたしでも思いつくような案を出した。『船を見る機会があるとは思いもかけなかった(had no belief)』にしてはどうかと言ったのである。
するとマルチンはいささかむっとした笑い声を漏らした。このときにはわたしも、マルチンが何を仄めかし何を意図しているのか、およそ見当がついていた。つまり『船を目にすることになるとは信じていなかった(had no faith)』とするべきだというのだろう。しかしマルチンはそうと口には出さずに、猫の背中に当てていた手を出して、その手をいかにも軽蔑したように振ってみせた。
「我々は俗悪さだけではなくて、いたずらに堅苦しくなることも回避しようと努めなければならないんだよ、ティム。きみたちはこの点を忘れている、とわたしは見て取っているのだがね。かりに文体を堅苦しくするのが目的であれば、きみの文章の中に『do not』や『had not』が出てきても、抵抗感は起こらないだろう。それよりも、こうしてみたらどうだろうか。『少年は浜辺に立っていた。やがて長々と続く小石混じりの幅広い河原を横切り、続いて砂丘を超え海水に濡れた平らな砂地を渡って海に向かったが、船を目にできる望みはすでにまったく失い(had lost all hope)、船がいまも存在しているとは思いかけず(no longer believed)、ずっと前に難破してしまった可能性などないとは夢にも思わなかった(nor)とな」





バーバラ・ヴァイン『長い夜の果てに』(榊優子 訳、扶桑社ミステリー) p,44-46


もっともこういった部分もストーリーと絡みあって伏線になっているのは「ミステリ作家」ヴァインならではだ。ただ……やり過ぎの感もあるが。

言葉に言い表すのは生易しくなかった──いわゆるカップルでいたいが、ホモセクシュアルの関係にあることはあくまでも内密にして、公には無二の親友同士だとしか見えないようにしたいと伝えるのは。その場の様子はといえば、イヴォーは感情を面に出さずに一定の距離を置いているようにわたしには思えた。やがてわたしは科学者には探せるはずもない言葉を引用した。
「ぼくは思っているんです。あなたの快楽の周縁に存在しているんだと」
とたんにイヴォーは笑い出した。しかも何からの引用かは訊かないので、わたしとしてもいたずらにひけらかすわけにもいかずに、カトーの娘でブルータスの妻となったポーシャのことを話した。『要するにあなたははっきりした言質が欲しいのだね。互いに約束を取り交わして。そうなんだろう?』云々というくだりを。





『長い夜の果てに』 p.111-112


そういったこともあってかどうかわからないが、YouTube の映像とコメントを見ると、ドラマ版ではラストが原作と異なるようだ。そしてドラマでは、リヒャルト・シュトラウスの『薔薇の騎士』の音楽が、ティムの微妙な心の動きに沿って効果的に流れている。

Rosenkavalier Suite / Salome

Rosenkavalier Suite / Salome

長い夜の果てに (扶桑社ミステリー)

長い夜の果てに (扶桑社ミステリー)




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