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ジョン・クリード『シリウス・ファイル』



まだ途中なのだが、ジョン・クリード/John Creed の『シリウス・ファイル』の掴みは良好だ。

シリウス・ファイル (新潮文庫)

シリウス・ファイル (新潮文庫)


まず主人公ジャック・ヴァレンタインが所属している、イギリス首相直属の「闇の」諜報機関MRUという組織の設定が、なかなか興味深い。

冷戦が終わった時、人々は諜報機関を見て、いったいなんのためにあるのだろうと考えた。さらに、少なからぬ人々は、彼らはこれまでなにをしてきたのだろうとも考えた。諜報機関の王道であった MI5 や MI6 に、あっというまに、政治家やジャーナリストたちが群がり集まった。彼らがMRUの存在を知っていたら、MRUも同じ運命をたどっていただろう。MRUはいわゆる影の機関の一つだった。そこで働くわれわれは機関を、他の諜報機関が触れるのもいやがるような汚れ仕事をするための闇の存在だと考えていた。


首相に直属の機関だが、誰にも属していないのではないか、と思えるときもあった。MRUは否認性こそがすべてだった。首相はMRUの存在を否認する。そして、機関そのものが存在しないのだから、たとえ捕まったり殺されたりしても、その工作員は存在しないことになる。捕まったり殺されたりすれば、なおさらのことだった。




シリウス・ファイル』(鎌田三平 訳、新潮文庫) P.15-16

さらに舞台はアイルランド、というわけで北アイルランド紛争が物語の大きな横糸になっており、主人公は、IRAアイルランド共和軍)の伝説的な闘士リーアム・メロウズと行動を共にする。ジャックはイギリスの諜報部員なので、IRAのリーアムとは「利害」が必ずしも一致しない。だが、二人は過去のある出来事により、互いに信頼を置いている親友同士である。
そのリーアムが自分の組織であるIRAの「裏切り者」として処刑宣告を受けているというのだ。というのも、リーアムがロンドン警視庁公安部警部補──つまりIRAの宿敵である──と一緒に映っている「写真」が発見されたからだ。
リーアムは、その写真は偽物だという。IRAを内部分裂されるために、英諜報機関により仕組まれた罠。しかしIRAは「内通者」リーアムを処刑すべく、すでに暗殺者を放っていた。

そういう状況下において、「他の諜報機関が触れるのもいやがるような汚れ仕事」を担うMRUの情報部員ジャック・ヴァレンタインに、一見奇妙な任務が通達される……。

ジャックというキャラクターもいい。行動し、省察する。解説によれば、ジョン・ル・カレの生んだジョージ・スマイリーとイアン・フレミングのジェイムズ・ボンドを極とする、その中間に位置しているスパイということだ。舞台がアイルランドらしく(作者クリードアイルランド人で別名義で純文学作品を発表している)、オスカー・ワイルドの警句も手馴れたものだ。

オスカー・ワイルドに、若い時にリベラルに走りすぎてはいけない、歳をとってから保守に傾きがちだからというような名言があった。わたしにワイルドを教えてくれたのはリーアム・メロウズだった。射貫くような洞察力と深い共感の心をかねそなえたダブリン出身の作家ワイルドは、つねにわたしの趣味に合った。
「保守」を「シニカル」に変えれば、それがそのままわたしになる。




p.15

ジャックは若い頃、社会主義を信奉していたリベラルだった。しかし現在、彼はイギリス国家の「汚れ仕事」を引き受けている。そういった葛藤が彼のキャラクターに陰影を与えている。

友人がわたしを小突いて、となりのブースにいる二人の男を見ろといった。一人は、三十年にわたる冷戦期間に西側が起こした動きのほぼすべてを裏切った男、キム・フィルビーだった。もう一人は、CIA欧州支局長、ジェームズ・アングルトンだった。


ここでは大規模なゲームがおこなわれており、この二人が定期的なランチの席でなにを話しているのかを知るためなら、わたしは右腕を差しだしてもいいと思った。なにが話題だったにせよ、フィルビーが以前の弟子を巧妙に翻弄したため、アングルトンは二十年にわたってCIA内部のソ連モグラを探し回り、自分が属する組織をパラノイアによって破壊することになったと事情通は言っている。
別の事情通は、モグラなどというものは、アングルトンとCIAにおよぼす長期的な影響を狙ってフィルビーが作りあげた幻影、幻の怪物だったと言う。実は、アングルトン自身が二重スパイだったという説もある。
ゲームはかぎりなく複雑で、自分で手に負えると思えば、どのレベルでも戦うことができる。




p.70-71