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ロストロポーヴィチ死去




チェリストのムラティスラフ・ロストロポーヴィチMstislav Rostropovich)がモスクワで亡くなった。80歳だった。

ドヴォルジャーク&サン=サーンス:チェロ協奏曲/ムスティスラフロポーヴィチ [DVD]

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Obituary: Mstislav Rostropovich [BBC NEWS]


ロストロポービッチ氏が死去=世界的なチェロ奏者−ロシア [Yahoo!ニュース/時事通信]

1927年3月、旧ソ連アゼルバイジャン共和国のバクー生まれ。モスクワ音楽院でチェロや作曲を学び、20世紀後半を代表するチェロの巨匠として活躍、レーニン賞などを受賞した。


<訃報>ロストロポービッチさん80歳=チェリスト [Yahoo!ニュース/毎日新聞]

1968年に、反体制作家のソルジェニーツィン氏を別荘にかくまったことが当局の怒りを呼び、長期間の国外旅行禁止の処分を受けた。74年に国外演奏旅行が許可されたのを機に英国で「自由の無いソ連には戻らない」と宣言、ソプラノ歌手のビシネフスカヤ夫人とともに事実上亡命した。これに対しソ連側は国外追放の処分にし、その後、市民権もはく奪した。
 77年に米国ワシントン・ナショナル交響楽団音楽監督に就任、ワシントンに定住し、指揮活動にも力を入れた。ペレストロイカ(改革)政策が進んだ89年に復権が決まり、90年2月には15年ぶりにモスクワで里帰り公演を行った。


Mstislav Rostropovich, "The Magnificent Maestro" of the NSO [Washington Post]

When Alexander Solzhenitsyn, a leading dissident, won the Nobel Prize for Literature in October 1970, official attacks on the author and his already-controversial books increased until Rostropovich decided to mount a formal public protest.


"This was the greatest step of my life -- the greatest!" he recalled. "With my whole soul, I said 'now I will not be silent!' " He addressed his letter to four Soviet papers, all of which refused to publish it -- an eventuality that Rostropovich had foreseen and surmounted by leaking copies to Western journalists.


"Explain to me, please, why in our literature and art so often people absolutely incompetent in this field have the final word?" the letter read, in part. "Every man must have the right fearlessly to think independently and express his opinion about what he knows, what he has personally thought about and experienced, and not merely to express with slightly different variations the opinion which has been inculcated in him."



露チェロ奏者 世界文化賞 ロストロポーヴィチ氏死去 [Yahoo!ニュース/産経新聞]

89年11月にベルリンの壁が崩壊した際、現場に駆けつけて壁の前で1人でチェロを演奏した姿は世界に鮮烈な印象を与えた。90年には12年ぶりに市民権を回復されて帰国。91年8月のソ連保守派によるクーデター未遂では民主改革の防衛を訴えた。


 親日家としても知られる。指揮者の小澤征爾さんとは「兄弟のような仲」、九重親方(元横綱千代の富士)やロシア前大統領のエリツィン氏(23日死去)らとも親交が深かった。昨年末に体調を崩してから入退院を繰り返し、肝臓の手術を受けていた。


80歳迎えた露チェロ奏者ロストロポービッチ氏に最高勲章 [ZAKZAK]

ロシアの世界的なチェロ奏者ロストロポービッチ氏が27日、80歳の誕生日を迎え、プーチン大統領はロシア最高の栄誉である勲一等祖国功労章を同氏に授与し、功績をたたえた。


 旧ソ連時代は自由や人権擁護のために当局と対立し、市民権をはく奪された経験もあるロストロポービッチ氏。それでもプーチン大統領クレムリンでこの日開いた祝宴で「傑出した音楽家であり、素晴らしい人物だ」「祖国を愛している」と絶賛、同氏を抱擁して誕生日を祝った。


Shostakovich: Symphonies 1-15 (Comp)

Shostakovich: Symphonies 1-15 (Comp)



チェリストとしてプロコフィエフショスタコーヴィチの作品の「歴史的な」初演、ベンジャミン・ブリテン、ヴィトルト・ルトスワフスキ、アンリ・デュティユーといった現代音楽作曲家との交友、米ワシントン・ナショナル交響楽団音楽監督をはじめとする指揮者としての活動、カラヤンバーンスタインジュリーニオイストラフリヒテルアルゲリッチ、ムター、ヴェンゲーロフ……らとの共演。ロストロポーヴィチは実に精力的な音楽家であった。
そして忘れてならないのが熱心な人権擁護者としての活動だ。

Mstislav Rostropovich and Galina Vishnevskaya: Russia, Music, and Liberty : Conversations With Claue Samuel ロストロポーヴィチは芸術や言論の自由を擁護する立場から、さまざまな活動を繰り広げた。とりわけソビエト時代に物理学者サハロフ博士を擁護したことや、ソルジェニーツィンに別荘の車庫を仕事場として提供し、4年間かくまったことが知られる。人道的活動にも情熱を注ぎ、ガリーナ夫人とともに、子供の医療改善をめざすヴィシネフスカヤ=ロストロポーヴィチ財団を設立した。同趣旨の活動の一環として、ユネスコ親善大使にも就任した。


これらの経歴により、世界文化賞、ドイツ勲功十字賞、イギリスの最高位勲爵士、フランスのレジョン・ドヌール・コマンドール賞、スペインのカタロニア国際賞、アメリカの自由のための大統領メダル、スウェーデン極北賞、ロイヤル・フィルハーモニー協会ゴールド・メダル、レーニン賞、人権同盟の年間賞、高松宮殿下記念世界文化賞など、30ヶ国を超える国々から130以上もの賞を授与され、音楽家としておそらく史上最も多くの勲章を受けているといわれる。このほか各国で40以上の名誉学位を与えられた。




ウィキペディアムスティスラフ・ロストロポーヴィチ」より

[Vishnevskaya-Rostropovich Foundation (VRF)]

旧ソ連に生まれ、反体制派として市民権を剥奪されたロストロポーヴィッチが、その死の約1ヶ月前にロシア政府より勲1等祖国功労章を授与され、そしてモスクワで亡くなったというのは感慨深い。そこには20世紀という時代を生きた人間の姿が凝縮されている気がしてならない。


Glory of Rostropovich: 80th Birthday Tribute

Glory of Rostropovich: 80th Birthday Tribute


折りしも日本ではアレクサンドル・ソクーロフ監督によるドキュメンタリー『ロストロポーヴィチ 人生の祭典』が封切られたばかりだった。


[ロストロポーヴィチ 人生の祭典]

YouTube の映像からJ.S.バッハ無伴奏チェロ組曲第1番「プレリュード」を選んで追悼の曲としたい。ご冥福をお祈りいたします。

Rostropovich plays the Prelude from Bach's Cello Suite No. 1