HODGE'S PARROT

はてなダイアリーから移行しました。まだ未整理中。

ソフロニツキー『伝説のシューマン・リサイタル』




ウラジーミル・ソフロニツキー(Vladimir Sofronitsky)が、1959年11月18日、モスクワ音楽小ホールで行ったライブ。人呼んで、『伝説のシューマン・リサイタル』。DENON の「ロシア・ピアニズム名盤選」の一枚(2枚組)だ。


タイトルの通り、夢のようにファンタジーが羽ばたく≪アラベスク≫に始まり、≪幻想曲ハ長調≫、≪交響的練習曲≫、≪謝肉祭≫といったシューマンの傑作・代表作が演奏され、アンコール曲≪夕べに≫(幻想小曲集Op.12より)、≪ロマンス≫で締めくくられるというもの。ロベルト・シューマンの作品でプログラムが組まれた、まさに伝説と呼ぶに相応しい演奏会の記録である、
何よりも、これらの大作を一日の演奏会で弾いてしまうという、ソフロニツキーの「体力」に驚く。≪幻想曲≫のあのエネルギッシュなニ楽章、シューマン的ピアノ技法を追求した≪交響的練習曲≫、演奏効果抜群の華麗なるヴィルトゥオーゾ曲≪謝肉祭≫。「どこまでも幻想的に、情熱的に演奏すること」とは≪幻想曲≫第1楽章における作曲家の指示であるが、このライブでも、そのモットーが終始、貫かれている。
ソフロニツキーは1901年生まれなので、このとき58歳。2年後の1961年に肝臓癌で亡くなる人の演奏とは思えない、情熱が迸る力強いものだ。≪謝肉祭≫の後の拍手を聞くと、会場もかなりの熱気に溢れているようだ。

≪謝肉祭≫は、よく知られているように、A、Es(S)、C、H という四つの音符が、動機として曲中のあちこちに現れ「踊りまくる」──≪謝肉祭≫の副題は「四つの音符に基づく小さな情景」である。そこでは、ピエロやアルルカンパンタロン、コロンビーヌといったコメディアンに混じって、シューマンの「複数の」友人や「幻想上の」仲間である、ショパンパガニーニ、クララ(キアリーナ)、エストレルラ、さらにシューマンの分身であるフロレスタンとオイゼビウスが、この謝肉祭の喧騒に加わる──シューマンの「想像上の運動」に参加する。
最後の≪フィリスティンと戦うダヴィド同盟の行進≫では、シューマンの空想的な結社「ダヴィド同盟」が、音楽上の保守派──低音部の、「祖父の踊り/17世紀の踊り」として知られるフレーズに象徴される──に戦いを挑み勝利する情景が熱狂的に奏される。≪謝肉祭≫は、シューマンの「壮大な夢想」が、ピアニスティックな効果と結び得た、稀有な作品だろう。

千のプラトー―資本主義と分裂症 一つの楽音がきみたちにつきまとい、一つの音がきみたちの体を突き抜ける。つまり、宇宙の力は素材の中にあったのだし、大いなるリトルネロはささやかなリトルネロの中に、大規模な操作は小規模な操作の中にあったのである。
ただ、われわれには自分に十分な力があるかどうか、確信がもてないのだ。われわれはシステムをもたず、複数の線と運動をもつにすぎないからである。シューマン




ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ千のプラトー』(宇野邦一 他訳、河出書房新社) p.403

ブックレットには、ロシアで「今なおカリスマ的人気を誇る」ウラジーミル・ソフロニツキーの生涯が簡単にまとまっている。印象的なのが、第二次世界大戦中のドイツ軍によるレニングラード包囲(1941-1942)最中における演奏会のエピソード。ソフロニツキーはソヴィエトの市民とともに困窮生活に耐え忍びながらも演奏活動を続けた。例えばマイナス3度というプーシキン劇場で、コートに身を包んだ聴衆の前にして、ピアニストは指先部分を切り取った手袋をはめて演奏した。彼は回想する「なんという有様だろう! それは、いったい何のために弾かねばならぬか、何をどういうふうに弾かねばならぬかを、身をもって知った時だった」と。
そして1945年にはスターリンの指示でポツダム会議の連合国参加者のための演奏会に出席した。

またソフロニツキーへの賛辞も載っている。なかでも目を惹くのがスヴェトスラフ・リヒテルの言葉。曰く、

あなたは神だ。



また、「ロシア・ピアニズム名盤選」には、ソフロニツキー演奏による、シューマンの最高傑作≪クライスレリアーナ≫を含むディスクもリリースされている。


スタジオ録音であるが、シューマンの特有の異様な熱気は十分に伝わってくる。とくに第8曲「速く、戯れるように」は素晴らしい。まず、あのギクシャクとした──二人三脚で歩いているかのような──リズムを淡々と弾く……と思ったら、「全力を込めて」のところでテンポを幾分か落とし、低音を響かせ、ほの暗いロマンを秘めた重々しい雰囲気が支配的になる。が、しかし、それも束の間。最後は、何事もなかったかのように、ギクシャクとしたリズムを淡々と弾き、ふっと消えるように終わる。
シューマンの不穏な幻想を垣間見た感じだ。

The Life and Opinions of the Tomcat Murr (Penguin Classics) ようやく元気をふるいおこすと、クライスラーはぼんやりした声で言った。「こいつばかりはその通りでほかにどうしようもないことなんです。ぼくたちはふたりでぼくらなんです──つまりですね、ぼくとぼくの分身(ドッペルゲンガー)とで、この分身のほうが湖からとびでてきてぼくのあとをここまで追いかけてきたんです。
──おたすけください、先生、先生の仕込杖で、その無頼漢を突き殺しちまってください──あいつは狂気にたけり狂っているらしいんです、へたをすりゃあぼくたちふたりともを滅びしかねません。

表のあのひどい天候を呪文でひきおこしたのもあいつの仕業なんです。──妖怪どもが空中で動きまわってるんですよ、そいつらのコラールが人間の駒を引き裂いちまいます!──先生──先生、あの白鳥をここへ誘いだしてください──あの白鳥に歌わせてください──ぼくの歌は凝結していまいました。だって、あの自我のやつの白くて冷たい死の手をぼくの胸のうえにおいたからなんです。白鳥が歌ってくれれば、あいつはきっと退散して──ふたたび湖のなかにもぐりこんじまうにちがいありません。


(中略)


そこに見ゆるは、あいや、骨の髄までしみとおったる幻想家、完璧無比の霊視者か!──おもての庭園でぞっとするようなコラールを演奏していたオルガニストたちってのは、ありゃみな、ほかでもない夜風だったのさ。




E・T・A・ホフマン『牡猫ムルの人生観』(深田甫 訳、創土社)p.294-294



[関連エントリー]