HODGE'S PARROT

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4分33秒以上 Happy New Ears 



YouTube で(ということは映像付きで)、ジョン・ケージ作曲の『4分33秒』(4′33″、初演1952年)を聴いた、そして見た(眼を凝らして、stare at computer screen)。
この曲を聴く(見る)のは実は初めて。しかもオーケストラ・ヴァージョンだ。

John Cage "4'33"


ベートーヴェンの「第9」やワーグナーの「指環」に匹敵する歴史的傑作に接することができて、とても感動した。なんだか耳が洗われたような……ハッピーな気分だ。


↓は、ケージの──ケージらしい──インタビュー映像。デヴィッド・チュードアや鈴木大拙に言及し、ポストモダニズムなんかについても語っている。
John Cage Interview (1987)




芸術家は結果的には、奴隷的であるか横柄であるかのいずれかの立場を取ることを強いられ、本来的に限定的な二つの道のいずれかを選ばざるをえなくなる。観客がすでに知っていることを観客に与えて観客に媚を売るか、あるいは観客の気持を鎮めるか、さもなければ、観客に攻撃を仕掛け、彼らの望まぬものを与えるか。


現代芸術はこうして、歴史的意識によって産み出された疎外を全面的に伝承する。芸術家がなにをしても、それは必ず、もうすでになされたものと(普通は意識的に)協力しあうものであり、自分の置かれた状況と立場を、先駆者および同時代人のそれと絶えずつきあわせて見なければならない義務を生み出す。このような不名誉な歴史への隷属状態を償うために、芸術家は全面的に無歴史的な、それゆえに疎外されることのない芸術を夢見ることによって心を躍らせる。



「沈黙せる」芸術はこの幻視的、無歴史的条件へ接近する一つの方法となる。
≪眺めること(ルッキング)≫と≪凝視すること(ステアリング)≫との相違を考えてみよ。≪眺め(ルック)≫は恣意的である。それはまた動的であり、興味を焦点を結んだり尽きたりするのにまかせて、その強さを増減させる。≪凝視(ステア)≫は本質的に強制的性格を持つ。それは停止し、転調もせず、「固定」したままである。


伝統的芸術な眺めを誘う。沈黙の芸術は凝視を産む。沈黙の芸術は──少なくとも原理的には──注目からの解放を許さない。原理的には一度も解放を願ったことがないのだから。凝視はおそらく現代芸術に可能な限り歴史から遠く、永遠に近いものだ。




スーザン・ソンタグ「沈黙の美学」(『ラディカルな意志のスタイル』より、川口喬一  訳、晶文社) p.24-25


Third Construction/Dbl Musi

Third Construction/Dbl Musi




沈黙は、洗浄され、妨害することのない視点のメタファーであり、見られるまでは反応せず、その本質的誠実さのゆえに、人間的精査に侵されない芸術的作品にこそ適わしいものだ。見物人は風景に近づくように芸術に近づくだろう。風景は見物人の「理解」も、意味の押しつけも、彼の不安も共感も要求しない。


それはむしろ見物人の不在を要求し、彼がそれになにものをもつけ加えないことを願う。厳密に言えば、観照は見物人の側における自己忘却を必要とする。観照に値する客体は、要するに知覚する主体を消滅させるものである。


観客の側からはなにものをもつけ加えることのできない、このような理想的な充満性、自然に対する美的関係にも比すべき状態こそ、大部分の現代芸術があこがれるところだ──物腰の柔らかさ、縮小、非個体化、無論理性など、さまざまな戦略によって。原理的には、観客が自分の思考をつけ加えることもできないだろう。


あらゆる客体は、正しく知覚すれば、すでに充満している。これこそまさに、ジョン・ケージが、なにかが常に起こって音を出しているゆえに、沈黙などというものはないことを説明したあとで、「ほんとうに耳を傾けはじめれば、もやは誰も観念を持つことはできない」とつけ加えて言ったとき、彼が意味していることに違いないことだ。




スーザン・ソンタグ「沈黙の美学」(『ラディカルな意志のスタイル (晶文選書)』より) p.25

John Cage "In a Landscape"



充満性──観念のはいりこむ余地がないほどにあらゆる空間に満たされたものとして経験すること──は不透過性を意味する。沈黙する者は他者にとって不透明となる。誰かの沈黙は、その沈黙を解釈し、それに言葉を押しつけるための可能性の隊列を組ませることになる。




スーザン・ソンタグ「沈黙の美学」 p.24-25

4分33秒=273秒」ということから、この作品を「絶対零度(-273℃)=無」と捉える意見があるが、ケージ自身が言ったことではない。




ウィキペディア『4分33秒』より

The theory that the title of the work refers to absolute zero (4’33’’″ expressed in seconds is 273 seconds. Minus 273 degrees Celsius - the lowest temperature that can be obtained in any macroscopic system- is referred to as Absolute zero), however, continues as a kind of urban legend that no doubt will always remain attractive to certain people.




Wikipedia "John Cage"より


In a Landscape

In a Landscape

「感覚の耳」に音高く響く旋律は朽ち果てるが、「聞こえざる」旋律は朽ちることがない。沈黙は停止させる時間(「ゆるやかな時間」)にも等しい。


(中略)


いまでは人も知るごとく、われわれにはまだ知らない思考方法がある。




スーザン・ソンタグ「沈黙の美学」 p.26