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レン・デイトン『ベルリンの葬送』




スパイ小説──というより「二重スパイ」という裏切りのテーマを扱った小説、レン・デイトンの『ベルリンの葬送』、ジョン・ル・カレの『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』、マイケル・バー=ゾウハーの『パンドラ抹殺文書』を立て続けに読んで(再読)、次はグレアム・グリーンの『ヒューマン・ファクター』に進もうとしているところ。
というのも、デイトンを除くこれら「古典的名作」が、去年あたりから新訳や新装版で読めるようになったからだ。文字も大きくなり──新訳とは謳ってないが例えば『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』では「統合失調症」という言葉が使用されている──格段に読みやすくなった。

内容をほとんど覚えていないことに加え、最初に読んだ高校生くらいの知力と経験では、これらの物語で描かれている「情報戦/頭脳戦」を成り立たせているところの国際状況・国際謀略に疎かったためにピンとこなかった部分がそれなりに理解でき、したがって純粋な小説として、楽しめた。


まずはレン・デイトンの『ベルリンの葬送』(『Funeral in Berlin』by Len Deighton)。


以前読んだときは、さっぱりわからなかった作品である。「わたし」という──ダシール・ハメットの「名なしのオプ」のような──英国情報機関 WOOC(P) 局員が主人公で、その叙述と構成が凝っている。例えば、

騎士(ナイト)は敵の勢力におさえられた桝目をとび超えることができる。
騎士(ナイト)は、通例、敵陣の桝目のなかでその行動を終える。



p.62

たとえ歩(ポーン)であっても”二重攻撃”(ダブルアタック)をかけることができる。


p.123

チェコ防禦法……歩(ポーン)と歩が対抗するが、女王(クイーン)側の僧正(ビショップ)の均衡がくずれる手順。



p.219

といった、チェスのゲームに見立てた言葉が各章に引かれており、内容がそれに連動する──といっても、誰が「歩」(ポーン)で、誰が「騎士」(ナイト)、誰が「僧正」(ビショプ)で、誰が「女王」(クイーン)で、誰が「王」(キング)なのかは、読者は推定するしかない。それこそ煙幕のような、呪文のようなテクストである。
しかし、読み終えてから振り返ってみると、これが非常に意味のあることがわかる。というか、そのチェス・ゲームの「無邪気な」言辞を並べるだけで、『ベルリンの葬送』という長編小説──ル・カレの『寒い国から帰ったスパイ』と並び称される、ベルリンの壁を舞台にした「悲劇」──の「骨格」が示される……という趣向だ。それゆえ、諜報戦の非情さとゲーム性が、改めて浮き彫りになる。例えば、

ほかの駒を護るためにつかわれる駒は、死傷率が高い。そうした掩護役には、歩(ポーン)をふりあてるのが一番よいことになる。


p.24

串刺し(スキュアー)というのは、直線によっておこなわれる攻撃法である。第一の駒が捕獲されるのを逃れれば、第二の駒がその危険にさらされるが、その駒こそが、全力をあげての本来の攻撃目標なのである。



p.177

中世においては、王(キング)を詰めるよりも、敵の駒を全滅させることが競技者の目的であった。



p.271

コミテッド・ピースというのは、特別の任務を負わされた駒の意味である。それは往々にして敵の攻撃目標となりやすい。



p.300

王は捕獲する必要もないし、盤面から除去する必要もない。脱出不可能な位置に追いこめば十分なのである。



p.329

交換……大局者が値打のひくい敵駒と交換で、なにかを犠牲にするときは、損な交換とよばれる。



p.329

終局……これは歩(ポーン)を女王(クイーン)としてなりこませることを中心に行われることがおおい。この場合、不意の攻撃がただちに自陣の内部に達する可能性がある。




p.390

歩(ポーン)は前進できるだけで、後退はできない。



p.408

反復の法則……同じ手順が三度つづけて起こった場合、ゲームを終了してよいというチュスの規則である。




p431


ストーリーも、スパイ小説なので当然、凝っている。「わたし」の任務は、ソ連酵素学の第一人者である高名な科学者を西側へ連れ出すこと──霊柩車を使って「死体として」ベルリンの壁を通過する作戦を立てる。ただし登場する情報部は、KGBと英情報部だけではなく、西ドイツの諜報部「ゲーレン機関」やイスラエル情報部もそれぞれ思惑を秘めて、ゲームに参加する。

1930年の末期、ドイツの科学者ゲラルド・シェラーダーは有機燐殺虫剤の一グループを発見し、これからパラチオンおよびマラソンが開発された(パラチオンは自殺用薬剤として一般的である)。ドイツ政府は兵器としての神経ガスの可能性を見越して、この研究を極秘裡につづけた。ユダヤ強制収容所の囚人たちにたいするその効果は、フィルムにとられている。これらのフィルムと研究調査は、戦争中、連合国側の手におち、英、ソ、米の三国によって研究が継続され、いまなお、軍事兵器としての重要性を保持している。




『ベルリンの葬送』補遺よりp.434

ゲーレンはウェストファリア(旧プロイセンの州)の旧家の出身だが、その家訓──Laat vaaren niet──はフランダース語である。この家訓は<けっして諦めるな>という意味である。ゲーレンは1921年、フォン・ゼークト将軍摩下のドイツ国防軍にはいり、まだヒットラーが政権を握らぬうちから、軍諜報部に籍をおいていた。
彼が采配をふるっていた部門は第三班Fで、ソヴィエト連邦にたいする諜報活動が担当であった。


(中略)


1945年には、世界情勢を瞰望できる点で、彼はヒットラーにもまさる地位にあった。


(中略)


ゲーレンはすすんで米軍に捕えられ、多少ごたごたのあったあげく、米陸軍情報局長の任にあるパターソン代将と会見する機会を得た。
米陸軍は<ルドルフ・ヘス地区>をゲーレンに提供した──ここは1938年、ナチス親衛隊士官のためにつくられた広い近代的な住宅地帯であるが、占領後は屋上に星条旗がひるがえり、各門には米陸軍の歩哨兵が立ち、莫大なドルがたくわえられている。彼は保安や情報部の元の同僚を訪ねることをゆるされた。海外に駐在していた彼の部下たちは、報酬や連絡の杜絶を経験したことはほとんどなかった。




『ベルリンの葬送』補遺よりp.435-436


また、音楽の使用も異彩を放っている。シェーンベルクの『管弦楽のための変奏曲』やベルクのヴァイオリン協奏曲、バルトーク弦楽四重奏曲を──この小説が発表された当時としては一般的に決して耳障りが良いとは「認識」されていなかった音楽を──登場人物たちは、まるでロマン派の音楽を聴くように、ロマンティックな音楽として聴く。憶測に過ぎないが、これら「不協和音」に彩られた音楽が、実は、聴く者にとっては、「調和」のあるものとして「認識」されていたのではないか、と思う。

シェーンベルクの《管弦楽のための変奏曲》を演っているといったサマンサのことばは間違っていなかった。わたしのほうは、あの気ちがいじみた軍楽隊の部分が好きだから、チャーリー・アイヴズの《ニューイングランド三景》を聴きたくていたのだが、シェーンベルクはそれでまた別の味わいがあった。だれでも自分の好むほうに他人を宗旨変えさせたいものである。




『ベルリンの葬送』 p.126

彼はコレクションのなかを探して、サマンサお気に入りのやつを見つけた。シェーンベルクの《管弦楽のための変奏曲》だった。
「調性がいいかげんなときでも、これは強烈なメロディを保っているんだ」と、ハラムが説明した。「すばらしい傑作だよ。みごとなものだ」
彼は、このなにかに憑かれたような、不協和音にあふれた曲を蓄音機にかけた。わたしは金輪ざいこの曲から逃れられないような気持になっていた。むろん偶然の一致にすぎぬかもしれないが。




『ベルリンの葬送』 p.402-403

Schoenberg, Berg, Webern: Orchestral Works / Karajan

Schoenberg, Berg, Webern: Orchestral Works / Karajan



                          • 以下は結末とニアミスしているので注意--------


とくに印象的なのが、ジョニー・ヴァルカンというドイツの連絡員のキャラクターである。「共産主義者で、ローマ・カトリック教徒のユダヤ人で軍の脱走兵で、そして……」と「わたし」に告げるヴァルカン。

「あんたがたイギリス人は」と、ヴァルカンがいいだした。「あんたがたはあの鰊の群にかこまれた冷たい海のまんなかで暮らしている。そんな人達にはとても理解してはもらえんがね。1944年6月6日はDデイ(第二次大戦で、英米軍による北フランス侵攻開始日)だ。その頃まで、あんたがたの英国では、戦闘でうしなった人数にくらべて、戦時交通事故で失った人数のほうが上まわっていた。それに比べて、われわれドイツ国民は東部戦線だけで、すでに六百五十万の死傷者をだしていた。被占領国のなかでレジスタンス組織をつくれなかったのは、わがドイツだけだった。その原因は、だれひとり残っていなかったからだ。
1945年になると、わが国では、ちょうど今あんたが立っている場所に十三歳の少年たちを立たせ、ヨーシフ・スターリン戦車が地響きをたててグリューネヴァルトから現れるのを迎撃するために、クーダムへ向けてバズーカ砲をかまえさせていたものだった。そんなぐあいに、われわれは連合軍に親しみ、協力した。


(中略)


「敗戦民族であるわれわれはどこまでも──英米の工場から品物を供給してもらい──お顧客の立場にとどまっているべきだった。ところが、そういうふうには考えなかった。われわれは自分たちで工場をつくりはじめた。しかもうまくつくった。ドイツ人というやつは玄人だからね、万事がうまくやりたいんだよ──たとえ戦争に敗ける敗けかたをしてもだ。わが国は繁栄をみたが、あんたがた英米人はそれが気にいらない。あんたがたがいい気味で優越感を保持しつづけるためには条件がなくてはならない。その条件というのは、ドイツ人がおべっか使いで、弱虫で、操り人形で、マゾヒストで、よき協力者であるということだ」




『ベルリンの葬送』(稲葉明雄 訳、ハヤカワ文庫)p.73-74


ゲーレン機関の男たちが、英ソ間のゲームの「駒」として売られたとき、ジョニー・バルカンは「わたし」に言う。

「たぶんあんたは、ゲーレン機関の連中を消耗品だと考えているんだろう」と、彼がいった。
「まさにご名答だ」と、わたしはいった。



(中略)


「売られたんだよ、あいつらは」と、ジョニーがいった。
雨滴のつくる水泡がますます複雑な模様をますます複雑な模様を池のおもてに描きだした。
「売られたか買われたか、どっちでも変りないじゃないか」と、わたしは答えた。
河馬がまた顔をだしてあくびをし、鼻を鳴らし、まばたきをし、ふわふわと横にからだを揺すったが、そのおかげで、われわれの足もとに小波が散った。
「やつらは人間だ。その点にちがいがある」




『ベルリンの葬送』p.336-337


そしてヴァルカンの最後。ヴァルカンは「わたし」に言う。「あんたが好きなんだよ」と。ヴァルカンはゲーテの『ファウスト』からの言葉を発し、服の汚れを気にしながら、死ぬ。

「人間は闘っているかぎり過ちをおかすものだ」




『ベルリンの葬送』p.365


英情報部は、ジョニー・ヴァルカンと同性愛関係にある人物がイギリス側に存在することを「認識」する。しかし作者レン・デイトンは、同性愛擁護の場面を入れることを忘れていない。この作品が上梓されたのは1964年である。

The subject of the novel Funeral in Berlin — arranging a Soviet scientist's defection — is dated, but the characters (especially Johnny Vulkan and Colonel Stok) remain memorable. Another controversial character is the civil servant Hallam, who is shown to be susceptible to blackmail because he is homosexual; male homosexuality remained illegal in England until 1967.




『Funeral in Berlin』Wikipedia en)

「たいがいの偏見は、それと認めやすいグループにむかって働く傾向がある。少数者が迫害をうけるのは、偏見という触手をゆっくりとのばせる場所にかぎるという事実も、たんなる偶然ではないんだ。メキシコ人はニューヨークでは問題にされることがない。もめごとにぶつかるのはメキシコ国境においてなのだ。パキスタン国民はアラバマ州のバーミングハムでは厚遇されるが、英国のバーミンガムでは偏見にぶつかるってことだ」
「そこさ」と、ジョニーがいった。「ともかく、戦後は、共産主義者にとって復権のための絶好の機会だった。かれらは反動勢力(つまり反共主義者)をつねに豚野郎と考えていたから、べつに驚くことはなにもなかった。ユダヤ人は何世紀も前から反ユダヤ思想のあることを承知していた。そこで解きえない謎に直面したのは、自分たちの同胞の手で苦しめられた者たちだった。ほかのフランス人に虐待をうけたフランス人、イタリアのファシストによって逮捕されたイタリアのパルチザン、などがそれだ。われわれはこういう恐ろしい出来ごとと同居しなけりゃならないのさ。
おれは、この地球上のどの民族よりも、ドイツ人と共通点をもっている。かれらの中で生活してきたし、たとえ今から死ぬまでのあいだ、あんたと鎖でつながれていたとしたって、あんたを理解する以上に、いろんな面で、かれらを理解できるんだぜ。
ところが、ドイツ人でいっぱいの部屋へはいろうとするとき、おれはひそかに、(おれを拷問にかけた男がここにいるのじゃないか)、と胸を問わずにはいられないんだ。(おれの友達を殺したやつがいるのじゃないのか?)(おれ自身の引き裂けた肉体のそとに真実はない、とおれがわめきたて信じているあいだ、ドアの外に立っていた男が、このなかに混じっているのじゃなかろうか?)(そして、その男の娘だか姉妹だか母親だかが、このなかにいはしまいか?)……などという不安だよ。そして、もしおれが事実を知ることができさえすれば、答えはほとんど”イエス”にちがいなかろう、それが数学的論理の力というものだよ」




『ベルリンの葬送』p.353-354


レン・デイトンは『ベルリンの葬送』のエピグラフアルバート・アインシュタインの次の発言を引用している。

「私の学説が正しければ、ドイツ人は私をドイツ人と言い、フランス人は私をユダヤ人と言うであろう。私がまちがっていれば、ドイツ人は私をユダヤ人と言い、フランス人は私をドイツ人と言うであろう」


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