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『主』への献呈 ブルックナー:交響曲第9番ニ短調




アントン・ブルックナー交響曲第9番ニ短調/Bruchner. Symphony No.9 in D minor を聴く。演奏は、クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団

Bruckner: Symphonies 4 & 9

Bruckner: Symphonies 4 & 9


ブラスの咆哮や重量感は今一歩かもしれないが、ドホナーニ&クリーヴランドの精緻で洗練された演奏とデッカの優秀録音が相俟って、ブルックナーのオーケストラレーションが透かし見えるかもしれない……とこのCDを選んだ。
なぜなら、『レコード芸術』2006年9月号で金子建志氏がこの9番を分析しており、それによるとブルックナーのトレードマークとも言える弦の刻みによる「開始」に新基軸が見られる、と書いてあったからだ。すなわちチェロ以上が32分音符の刻みなのに対し、コントラバスだけが全音符のタイで音を延ばし続けること。

僕はこの9番は演奏したことがなくスコアも持っていないので(『テ・デウム』はある)、耳で選別するのは金子氏も書いているように──このドホナーニ盤を持ってしても──かなり難しいのだが、言われてみれば、低音が持続しているように聴こえなくもない。
では、なぜタイで音を延ばすのか。金子氏は次のように書く。

音は『主』を象徴する Dominne の頭文字D=レのユニゾンニ短調は《0番》や《3番》でも既に試みており、いずれも主音Dで始まるのだが、主音をオルガンのペダル音的に延ばすのは初めてだ。この慎ましやかな工夫を、音色効果的な隠し味としてだけでなく、象徴的な意味から捉えることも重要だ。


ブルックナーはこの交響曲を、明らかに死を意識して書いた。本文で触れたゲシュトプフの歪んだ音色効果は、『N』〜『O』の奈落の底へ急降下で到達した地獄絵図の描写のため。しかし最後には、他の交響曲の場合と同じく、神の元へと至る。その到達点たる『主』に献呈するつもりで書いたことが、このコントラバスのDの持続からも明らかになるのだ。


本当に音楽は深い。ある音をタイで延ばすか、32音符で刻むか、トレモロにするかで、「その意味」「解釈」の領野は遠大なものとなる。調性も同様だ──そういえば、セザール・フランクの唯一の交響曲も主音Dの「ニ短調(D minor)」だった。

それにしても、ドホナーニ&クリーヴランド管弦楽団の演奏による、交響曲第9番の3楽章アダージョは美しい。この「未完に終わった」ブルックナー交響曲は、最近復元や補筆が進んでいるようだが、このアダージョのラストでもいいかな、と思う。


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