HODGE'S PARROT

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シェーンベルク『グレの歌』

オーストリーオーストリア)の音楽にどっぷりと浸りたくて、久しぶりに、アーノルド・シェーンベルク作曲の大作『グレの歌』(Gurrelieder)を聴いた。
演奏は、リッカルド・シャイー指揮ベルリン放送交響楽団、ベルリン聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊デュッセルドルフ市楽友協会合唱団。ソロがジークフリート・イェルザレム(ヴァルデマル王、テノール)、スーザン・ダン(トーヴェ、ソプラノ)、ブリギッテ・ファスベンダー(森鳩、メゾ・ソプラノ)、ヘルマン・ベヒト(農夫、バス)、ペーター・ハーゲ(道化のクラウス、テノール)、ハンス・ホッター(語り手)。

Schoenberg: Gurrelieder

Schoenberg: Gurrelieder


1911年に完成されたイエンス・ペーター・ヤコブセンの詩に基づく『グレの歌』は、とにかく巨大な楽器編成に、独唱者五人、男声四部合唱三組、混成八部合唱といったこれまた大規模な声部によって演奏される。
人数の上ではマーラーの『千人の交響曲』に及ばないが、それでも、膨大で長大な物量サウンドが耳を圧倒し、聴き応えは抜群だ。しかも、シェーンベルクの作品の中では圧倒的に「聴きやすい」。無調や十二音技法の晦渋さもなく、芳醇な後期ロマン主義的な音のドラマに、ひたすら浸れる。この『グレの歌』は、シェーンベルクが生前、ウィーンの聴衆から絶賛されたほとんど唯一の作品なのだそうだ。
つまり、こういう音楽を、当時のオーストリア=ハンガリー帝国の人々は求めていたのだろう。ただ、これほど膨大に複雑に膨れ上がった「各楽器」「各声部」を纏めあげ、一つの音楽に仕立てる指揮者の仕事は、とてつもなく大変なものであろう、と想像に難くない。


ヤコブセン(Jens Peter Jacobsen、1847-1885)は、デンマークの詩人で小説家で植物学者でダーウィンの『種の起源』の翻訳者。『レコード芸術』に連載している石田一志『シェーンベルクの旅路』によれば、『グレの歌』は、ヤコブセンの未完の「枠小説」である『サボテンの花ひらく』に収められた一遍である。枠小説とは、ひとつの物語のなかに別のいくつかの物語をはめ込む形式であるという。

枠の物語は、本業のかたわら詩作に携わっている五人の青年から求愛される美しい娘ユーリアの家を舞台にしている。ユーリアの父の軍事参事官は花作りが趣味で、彼が九年間丹精を込めて育てた珍しいサボテンのひとつのつぼみが開くという夜に、五人は招かれ開花を待つ間に、一人ずつが近作の詩を朗読するというもの。


パーテル、カール、パウル、イエスペル、マツヅの五人の青年たちは、それぞれに象徴派風の詩、民謡風の短編や物語などを語るが、そのうち、三番目のパウルが発表するのが、デンマーク王ワルデマールとグレの地の美しい娘トーヴェの密やかな愛を扱ったデンマーク風『ニーベルングの指環』ともデンマーク風『トリスタン』とも呼ばれる中世デンマークの伝説に基づいた、『グレの歌』である。




石田一志『シェーンベルクの旅路 5』(音楽之友社レコード芸術』2006年8月号)より

イエンス・ペーター・ヤコブセン [ウィキペディア]

20歳頃に信仰の危機をむかえ、キルケゴール、聖書、フォイエルバッハ、ハイネなどの読書遍歴の末、唯物論者となる。「苦しい内的戦いをへて、宗教を離れた」と後年述懐している。イプセンの『ペール・ギュント』に感動し、自らも北欧のサガに題材をとって物語詩《コルマクとステンゲルデ》、詩と短編の組み合わされた連作《サボテンの花ひらく》に着手、また長編小説『無神論者』の構想を得る。これが後の『ニールス・リーネ』となる。


1870年、少し前から婚約していた〈ティステッドの王女〉と呼ばれる美少女との婚約を解消する。熱心なクリスチャンである彼女を自分の無神論と対決させるにしのびなかったとの理由による。
1872年《新デンマーク月刊》誌に中篇『モーゲンス Mogens』を発表。また多年にわたる藻類の研究をまとめ、大学より金牌を受賞される。ただ沼や川での無理な採集がたたって、このころから胸を病むようになる。1873年にはチャールズ・ダーウィンの『種の起源』の翻訳を進める一方、長編『マリイ・グルッベ夫人』のために図書館で古文献の蒐集をおこなう。

[イェンス・ペーター・ヤコブセンサボテンの花ひらく 日本語訳』]