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利用された「ネオ・ナチ行為」  トレモー知事夫人爆殺事件



ティエリ・ウォルトン(Thierry Wolton)の『さらばKGB  仏ソ情報戦争の内幕』(吉田葉菜 訳、時事通信社)から第4章「虚偽とその利用──逆情報工作」。
1956年末、フランス東部のバ・ラン県とオー・ラン県に住む要人300人が「独立ドイツをめざす戦闘団」という差出人から以下のような手紙を受け取った。

フランスの圧政者に告ぐ


われわれはすでにあまりにも長いあいだ、おまえたちが図々しくも強奪したエルザス・ロートリンゲンアルザス・ロレーヌ)で、えらそうにのし歩く姿を我慢してきた。おまえたちの罪はきわめて重大だから、不当な強奪にけりをつけようと決意した、不屈で誇り高いドイツ人の正義にかなった審判を、免れるわけにはいくまい。
ドイツ国民は、おまえたちがわれわれの古い伝統を無視し、フランスの腐敗堕落した文化を住民に推しつけることを、もうこれ以上許さない。おまえたちの下品な歌ではなく、われわれの言葉と歌こそが、このエルザスの地に響きわたるのだ。おまえたちがどんな術策を弄そうと、われわれの子供たちをフランス人に仕立てることなどはできはすまい。われわれは、おまえたちのイヌがわれわれの同胞をスパイし、かつての祖国との接触を邪魔することも許さない。われわれの国民を締めつけ、脅しとゆすりで膝まづかせようとする、おまえたちの汚い手を打ち砕いてやる。
覚悟をもってきっぱりと言おう。もうたくさんだ! 用心しろ!
腐り切ったおまえたちの国の名において、せっせとわれらが同胞の誇りを辱しめ根絶やしにしてきた、おまえたちのスパイ、手下、教師どもは、待ち受けている公正な懲罰を絶対にかわすことはできないぞ。われらが同胞はおまえたちに混じって暮らしているから、おまえたちの悪業についてはすっかり承知している。
だからここで予告しておく。おまえたちの大罪のひとつひとつが、これから容赦のない復讐を受けるのだ!


「独立ドイツをめざす戦闘団」





ティエリ・ウォルトン『さらばKGB』p.273-274


レターヘッドにナチの鉤十字のマークが描かれた脅迫状について警察は、西ドイツのハンブルクを拠点するネオ・ナチが絡んでいると結論し、捜査した。が、事件はすぐに忘れられた。

1957年5月14日、アルザス地方のストラスブール県庁にフランスの要人が集まった。元首相のルネ・メイヤーとルネ・プルヴァン、下院議員のピエール・アンリ=テロジャン、元老院議員のアンドレ・ブトミー、それに20人近いEEC(欧州経済共同体)代表とバ・ラン県の責任者たち。アントレ=マリ・トレモー知事(Andre Tremaud)に招かれて、欧州議会で開かれた欧州石炭鉄鋼共同会議の閉幕を祝いにやってきたのだ。

トレモー知事は、うっかりして、その席上で来客に配ろうとした高級ハバナ葉巻のことを失念していた。バハナ葉巻は、その当日、ハバナ葉巻のヨーロッパ総代理人カルロス・ガルシア・ソルドヴィラ名義でトレモー知事宛てに送られてきたものだった。

3日後の5月17日。アンリエット・トレモー夫人は夫の執務室で例のハバナ葉巻の小包を開けた。時限爆弾が作動した。すさまじい爆発音が県庁を揺るがし、腹を裂かれ右腕をもぎとられたアンリエット・トレモー夫人の死体が発見された。

ハバナ葉巻の総代理人ソルドヴィラ氏は実在しなかった。だが、その差出人の住所氏名を打ったタイプライターは「独立ドイツをめざす戦闘団」の脅迫状に使われたものと一致した。事件を依頼された国土保安局(DST) は、捜査官をハンブルクへ送った。

同じころ、フランスの新聞は、ラインのかなたでの「ナチズム復活」に非難の声をあげ、モクスワ放送は、西ドイツ人全体が根本的にはいまだにどうしようもないナチスなのだ、と早々に決め付けた。困惑しきったボン政府は、最大限の努力を払ってフランス警察を手伝った。だが、「戦闘団」のメンバーはいつまでたっても見つからなかった。


数ヶ月後、捜査は不起訴の決定をもって打ち切られた。




p.276


1968年。チェコ情報機関STB逆情報工作局の元局長補佐、ラディスラフ・ビットマンが西側に亡命した。その結果、なぜアンリエット・トレモー夫人が爆殺されたのかが、わかった。

謎の「戦闘団」の名で手紙を送りつけ、下地を用意したあと、STBは1957年春、テロ工作の準備のため四人の将校をパリへ送った。ミロスラフ・クーバ、ロベルト・テール、ミラン・コペツキー、それにスタニスラフ・トメシュの四人である。
爆発物専門家のクーバが、葉巻の箱に時限爆弾を装置した。差出人の住所氏名は手紙に使ったのと同じタイプライターで打ち、警察がこのテロ行為とネオ・ナチ「戦闘団」とを容易に結び付けられるよう、わざと仕組んだ。


5月13日午後、四人のうち一人が、爆弾を仕掛けた小包をパリ十二区ディドロ通り二十五番地の郵便局へ運んだ。それが翌日にはストラスブールに着き、元首相や国会議員の集まる知事のレセプションに間に合うよう、すべて計算済みだった。STBは、トレモー知事がただちにこの葉巻を客たちに出すことを望んだ。「人為的要員」、つまり知事の物忘れが、この計画を失敗させた。
この事件では、STBが作戦を実行した。だがビットマンによれば、それを準備したのはKGBだという。いったい何の目的で?




p.277


もちろん「利害」が絡んでいるからに他ならない。
フランス議会下院では1956年、独仏関係と欧州原子力共同体(ユーラトム)について審議が行われており、西ドイツを欧州協力計画に加盟させるかどうかをめぐり、賛成派と反対派が対立していた。KGBはドイツの「ナチズム復活」というイメージを流布させ、西ドイツの信用を失墜させ、EECの前身となる欧州石炭鉄鋼共同体を挫折させようと目論んでいた。ストラスブール欧州石炭鉄鋼共同体の本拠地である。

モスクワは、この工作がものの見事に功を奏したので、そのまま打ち切りにはしなかった。ネオ・ナチのこけ脅しは、長期にわたってKGBに利用され、とりわけ逆情報工作を担当するD局が西ドイツを孤立させ、ヨーロッパの分断をはかるのに役だった。
1960年代初めに最高潮に達する大々的なキャンペーンは、KGB第一管理本部D局のイヴァン・アガヤンツ将軍が指揮した。ストラスブールのテロ行為は、国際世論を反ドイツに駆りたてた。


(中略)


KGBの亡命者は、アガヤンツ将軍がこの計画を実行するにあたり、どのように予備実験したかを語っている。ある晩、モスクワから60キロほど離れた小さな村で、一人のコマンドが、鉤十字とユダヤ人排斥のスローガンを書きまくり、墓石をいくつか押し倒した。翌日、指令を受けたKGBエージェント数名が、村人たちの反応を観察した。


(中略)


12月31日夜、アントワープコペンハーゲングラスゴー、ロンドン、オスロ、パリ、パルム、ストックホルム、ウィーンでユダヤ教に対する涜神行為が見られた。1月3日、今度はマンチェスターアテネメルボルン、パースの番だった。1月6日には、ボゴダとブエノスアイレスが、アガヤンツ将軍呼ぶところの「鉤十字作戦」に見舞われた。


(中略)


あるネオ・ナチ組織の出納係も、極右団体に浸透して反ユダヤ感情を広めるよう、東ドイツから指令を受けていたことを認めた。




p.278-280

モスクワの思惑通り、世界中に怒りの渦が巻き起こり、西ドイツはまたたくまに「被告席に座らされていた」。西側のマスコミを巻きこんだ反ドイツ・キャンペーンに対し、反撃に立ちあがる国はほとんどなかった。
「ドイツの若い世代はヒトラー主義者などでは決してない。まったくその逆である」と西ドイツを擁護したのは、イスラエルの首相ベン・グリオンぐらいだった。



[関連記事]

The two indicted men have refused to talk but former agents and historians agree that the terrorist act, coordinated with the Soviet KGB, was meant to destabilise the still frail relations between France and Germany. Posing as a product of alleged German neo-Nazi groups, the parcel bomb was meant to be delivered to Andre Tremaud at a meeting of the European Coal and Steel Community, the predecessor of today's European Union.

さらば、KGB―仏ソ情報戦争の内幕

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