HODGE'S PARROT

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触発するYouTube ジュディス・バトラーの言葉

YouTubeジュディス・バトラーの『問題=物質となる身体』(Bodies That Matter : On the Discursive Limits of "Sex" )からの引用を連ねたアート系のビデオがあった。
Beauty Mark……Fragment of Art Video based on Judith Butler quote from Bodies That Matter. It was shown in Glasgow last February at Project Room Gallery.


まあ、抽象的で難解な現代アートである。

自らの著作が不可避的な徴収の場となることは、主体の脱中心化の両義的な意味付けのひとつである。しかし、自らの著作の対する所有権を捨て去ることは、重要な政治的な必然的結果であり、自らのことばを取り上げ、再編成し、歪曲することがコミュニティの険しい将来的地勢を切り開くのである。


将来においては、自らを指し示す語によって自らを完全に認識できるという希望は必ず失望させられる。はじめから自分の語を所有するなどということはありえないが、メランコリックな繰り返しである言語は、自らが道具として使えるもののようでもなく、「己」と「私たち」の連続する不安定な条件、拘束する権力の両義的な条件として、自らを使用され、徴収される「語り」、または語るということは常に見知らぬ人の発話を通して、そして見知らぬ人として語ることであり、自らが決して選択しているわけではない言語のメランコリックな繰り返しなのである。




ジュディス・バトラー「批評的にクィア」(クレア・マリィ 訳、『現代思想』臨時増刊1997-5 vol25-6「レズビアン/ゲイ・スタディーズ」)p.173