HODGE'S PARROT

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高橋悠治の『ロベルト・シューマン』HTML版




高橋悠治ロベルト・シューマン』(青土社、1978年初版発行)が、HTML版として<水牛>のサイトにアップされているのを最近知った。

シューマンとその時代を1977年の状況の中にとらえ直し、現代における〈音楽〉の意味を問う


[高橋悠治ロベルト・シューマン』]


シューマンという一人のドイツロマン派の音楽家についてだけではなく、批評活動とは、芸術活動とは、そして社会運動とは……そういった様々な問題意識を持っている全ての人に、シューマンという一人の音楽家を通して、考えさせてくれる「熱い」テクストだ。

批判的表現を散乱させ、中性化し、無効にするマスメディアの役割については、何度も警告が発せられた。それらの警告もまた批判のかたちをとり、危機感そのものがうすめられるうちに、意識産業の集中化が進行する。それは帝国主義の中心部での技術集約に対応している。原子力発電所やコンピューターに見られるような巨大な技術集約は、それにともなう情報の集中管理構造を国家的規模で必要としている。そのような構造は、報道統制と批判の圧殺を必然的にひきおこすし、表現一般の抑圧もそれと不可分に進行する。そのきざしは西ドイツ帝国主義下の言論統制にすでに見ることができる。


いま必要なのは冬のおとずれをつげる歌ではない。冬にそなえて深く穴を掘り、武器をたくわえ、その時までに地下に姿を消すことだ。冬眠するためではない。根をはりめぐらして、やがて地表を突きやぶるために。



高橋悠治『ロベルト・シューマン』  むすび


このテクストを読みながら、高橋悠治の弾く『クライスレリアーナ』『森の情景』に耳を傾けたい。