HODGE'S PARROT

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『NOと言える日本』の英訳をめぐって




沢木耕太郎の『彼らの流儀』に「ギャラクシー」という題された文章がある。
それは、石原慎太郎盛田昭夫の『NOと言える日本』を英訳した人物は誰か、というテレビの報道番組の紹介から始まる。
アメリカ議会に出回った『NOと言える日本』は、「意図的な誤訳と省略に満ち満ちている」という石原慎太郎の非難を受けて、では「英訳者」は誰なのか? と取材が始まり、最後には米国防総省の記者会見から翻訳した人物が発覚する、というのがその番組の内容である。

英訳した人物は、沢木の知り合いのようだ。彼は英訳者と話す。

「石原さんは一貫してあれはタメにする訳だったと言ってますけど」
「そんなことないよ」
「まったく無心で訳していた?」
「ただこういう気持はなくもなかったかもしれないな。日本人は、日本の国内で日本語で喋ったり書いたりしているかぎりは絶対に外国には伝わらない、と安心しきっている。しかし、もう、そんな時代ではないんですよ、日本で言ったり書いたりしたことの責任はきちんと取らなければならなくなっているんですよ、ということを少しは警告したかった」




沢木耕太郎『彼らの流儀』(新潮文庫)p.104


後日。「英訳者」はワシントンの「ギャラクシー」というオフィスで働いている。そして石原慎太郎が訪米する際の通訳を「ギャラクシー」に打診してきたとき、「自分は例の英訳者だ」と石原氏の秘書に伝えたところ、通訳の件は断られた。

最後に「英訳者」の父親の話になる。「英訳者」の父親は、山口二矢の両親を「マスコミから匿った」。山口二矢は1960年、日本社会党委員長浅沼稲次郎を殺害した。

沢木耕太郎は「変る/変らない時代」を思う。

深夜、私はベッドの中で、もし山口二矢が生きていたら、『NOと言える日本』をどう読んだか、そしてその英訳本をどう読んだだろうか、と思いを巡らせた。二矢が憤激したのは、浅沼の「米帝国主義は日中共同の敵」という声明文だった。




p.107

彼らの流儀 (新潮文庫)

彼らの流儀 (新潮文庫)