HODGE'S PARROT

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燃える言葉




高祖岩三郎が『現代思想』で連載している「ニューヨーク列伝」の第13回「ハーレム運動体」論(2005年12月号)で、詩人のラングストン・ヒューズについて興味深いエピソードがあった。ヒューズがゲイであり、さらに無性(エイ・セクシュアル)であった可能性──そこから「ハーレム・ルネッサンス」における性的多種多様性の次元/側面へと論じていく。

例えば、イギリスの芸術家/映画作家アイザック・ジュリアン(Isaac Julien)が、1989年に製作した『Looking for Langston』。

これはラングストン・ヒューズがゲイだったという、当時広がりつつあった、新たなハーレム・ルネッサンス解釈に則り、それを強調している。それと同時に、白黒の美しい画面で、黒人男性の身体をこれまでになかったような視線で耽美的に描いた。それまで支配的だった「黒人男性=攻撃性」という身体的/性的紋切り型(セクシュアル・ステレオタイプ)を突き崩す操作を行った。
ここでは黒人男性の身体が、欲望し攻撃する主体としてでなく、あくまで欲望される対象としてこちらの接近を待つ、受動的なエロスとして描かれている。これが黒人同性愛(ブラック・ホモセクシュアル)という表象のジャンルを確立したが、ここからさらに、そのあまりの耽美性への階級的批判として、様々なタイプの黒人同性愛の表象が探求されていった。

The Film Art of Isaac Julien

The Film Art of Isaac Julien


「白い視線」(白人)や「ストレートな視線」(異性愛)の紋切り型(ステロタイプ)への抵抗とブラック・パワー内部における「内在的批判」。ここから、男性中心ではない──つまり黒人レズビアンらの運動が加わり、ハーレムの「クイア空間(スペース)」が生まれてくる。興味を惹くのは、高祖岩氏も指摘するように、多くのハーレム・ルネッサンスの中心人物たちが──男性も女性も──「カム・アウト」という形ではなく、むしろ「クローゼット」内部で、大枠の「人種問題」とは別の次元で「性の逍遥」を行っていたということ。

彼らは当たり前のことのように、公私を分けた「二重生活」を送っていた。それが彼らの文学表現に独自の厚みを与えてもいた。

アラン・ロック、カウンテ・カレン、ラングストン・ヒューズ、クロウド・マッケイ、ウォーレス・サーマン、リチャード・ブルース・ヌジェント、カール・ヴァン・ヴェクテン、アレリア・ウォーカー、ゾラ・ニール・ハーストン、ベッシー・スミス、マ・レイニー、メーベル・ハンプトン、アリス・ダンバー・ネルソン、アンジェリーナ・ウェルド・グリムケ……。

ハーレム・ルネッサンスの「ゲイ/レズビアン的側面」の発見は、間違いなく「黒人文化」(ブラック・カルチャー)に新たな次元を提供した。それは「身体性」としての「黒人文化」に「パフォーマンス性」の新たな次元を付け加えた。それは黒人という「人種的マイナー性」の中に、さらに「性的マイナー性」を折り込み「都市的存在のラディカリズムの極限」を指し示した。

The New Negro

The New Negro

The Portable Harlem Renaissance Reader (Portable Library)

The Portable Harlem Renaissance Reader (Portable Library)



また、この「ハーレム運動体」論で注目したいのが、 W.E.B.デュ・ボイス(W. E. B. Du Bois、1868-1963)という人物。アフリカ系アメリカ人で最初にハーヴァード大学の学位を取得したデュ・ボイスは、公民権運動の思想家&アクティヴィストとして活躍し、National Association for the Advancement of Colored People(NAACP)を組織した。

[W. E. B. DuBois Learning Center]


高祖岩氏の論考によると、デュ・ボイスは、その著書『The Souls of Black Folk』で「20世紀の夜明けにおいて黒人であることの奇妙な意味を読者に提示していく」と記し、黒人の歴史的体験を一つの「民族文化」として捉えるのだという。

そしてこの「文化」の内実とは、何よりもその中に複数の声を孕んでしまった「魂」(ソウルズ)なのである。その本質は「二重意識」(ダブル・コンシャスネス)という概念によって説明されている。「二つの魂、二つの思考、二つの相容れない奮闘、二つの戦いあう理想──これらが、その頑強な力のみがばらばらになることを防いでいる、黒い身体に宿っている」


この「黒人であることの奇妙な意味」を示す「二重意識」とは、黒人民衆(ブラック・フォーク)が、アフロ・アメリカンという国民意識を獲得する過程で起こる「二重化」のことである。


彼らは、まず白人の意識で劣勢の自分を見ざるをえない。他者の目で自分を見ざるをえない。そしてそれと同時に、自分の「本来性」(オーセンティシティー)、つまり「起源」(オリジン)を探し求め「同一性」(アイデンティティー)を獲得しようとする。そのような自意識構成における力学(ダイナミズム)である。


これはまたアフロ・アメリカンの他律(ヘテロノミー)と自律(オートノミー)の間の振幅を司る核(コア)でもあり、ある場合「アメリカ」と「アフリカ」として表象されることもあり、他の場合「白人=権力の目」と「黒人=反権力の目」として現れることもある。ハーレム・ルネッサンスとは、いわばこのような振幅運動の出発点であった。

The Souls of Black Folk

The Souls of Black Folk




北部の改革派(リベラル)



そういうわけで
わたしたちは、バーミングハムに舌なめずりし
で、言う「ほら見ろ!
南部の奴らは、俺の言った通りだったろ
こうなるのはわかっていた」と。
だが、わたしたちは何様だ。
自分がいかにリベラルか 示すのに
間に合う程度に 遅まきながら認めた
論旨を 野蛮人らが証明した ということで
そんなに自慢するなんて
闘争にかかわり合いもせず
わたしには余裕がある
充分に食べ 学位はあり
ぶたれもしない──エリートなんだ
ここ北部では
わたしは小切手を送り
あなたたちの主張を支持し
舌なめずりする
ジム・クロウ*1の法律と
バーミングハムに──
その地にいるのは あなたたちで
わたしではない
のだから




ラングストン・ヒューズ『豹と鞭』(古川博巳・風呂本惇子 訳、国文社)p.110-111


豹と鞭―ラングストン・ヒューズ詩集

豹と鞭―ラングストン・ヒューズ詩集

The Panther & the Lash (Vintage Classics)

The Panther & the Lash (Vintage Classics)

*1:語源を19世紀のアメリカン・ミンストレルシーの父、トマス・D・ライス作の唄と踊り”Jim Crow”に発する俗語。黒人にたいする蔑称および黒人差別や隔離制度まで広く意味する用語となった