昨日も書いたように、2006年はモーツァルトの生誕250年であると同時に、ロベルト・シューマンの没後150年にあたる。しかしモーツァルト・イヤーと重なってしまうため、どうしてもシューマン・イヤーのほうは霞がち、とも昨日書いた。
「いつもシューマンが損します」とは世界有数のシューマン研究家である前田昭雄氏の言。『レコード芸術』で連載している「いま! ウィーンはウィーン」でも、「モーツァルトとシューマンの来年に」ついて触れている(2005年6月号)。
とくにその記事で興味深いのは、シューマンのモーツァルト観についてだ。そういえば、シューマンがショパンを評した有名なセリフ「諸君、帽子をとり給え、天才だ!」は、ショパンが作曲した作品2の変奏曲がきっかけとなったものだが、その変奏曲の主題こそは、まさにモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』から採られたものだった。
前田氏は、シューマンの残した日記からモーツァルトに触れている部分を抜き出し、そこからシューマンのモーツァルト観を考察する。
「守護神(天才)のあるところ、それがどういう形姿(形姿というのは正しい言葉ではないが)で現れても大して問題ではない。バッハの場合のように重みであろうと、モーツァルトのように軽みであろうと、ベートーヴェンのように暖かみであろうと、シューベルトのように暗さ(これも正しい言葉ではない)だろうと、僕の場合のように、無であろうと! 待てよ! 見つけたぞ──無だ、無限の無だ!」
最後の言葉は激越です。それは虚無主義ニヒリズムだったのでしょうか? そうではなくて、むしろ恐れの表現だったと思います。すでにこの頃からシューマンは、「いつか正気を失うことになる」という恐れを抱いていました。こういう深淵の自覚はのちに《クライスレリアーナ》を頂点とする危機的な独創的な作品に結実しますが、《ダヴィッド同盟》の理想に燃えて『新音楽雑誌』を創刊する行動もまさに「前方への逃避」だったのです。
上の引用に戻って考えますと、無に最も近い性質(暗さ)をシューベルトに、最も異質の理想をモーツァルトに感じていたことがわかります。
「フィガロの合唱──僕は身体が震え、氷のように冷たい汗のしずくが滴り落ちた。トロンボーンのところで、砕かれた心臓が再び打ち出すまで、永遠の長さを聴いた──でも僕は震えて、モーツァルトを恐れた。」
それはシューマン十八歳の春の、鋭敏なモーツァルト初体験でした。その十年後のシューマンは、ウィーンでみた《フィガロ》について、クララにこう書きおくっています。「第一幕の音楽は僕を完全に幸せにした。僕は喜びで泣いたのだ。」
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