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対異教徒大全

ブライアン・マギー編『西洋哲学の系譜 第一線の哲学者が語る西欧思想の伝統』(晃洋書房)をパラパラと。
この本はBBCで放映されたテレビ番組シリーズを元にしたもので、英語圏の哲学者が、それぞれの専門分野について、ブライアン・マギーと対談を行う、というもの。例えばアリストテレスについてはマーサ・ヌスバウムが、フッサールハイデガーではヒューバート・ドレイファスが、ウィトゲンシュタインについてはジョン・サールが……といった具合に。
で、今日目を通したのが「中世哲学」。対談者はアンソニー・ケニー。

興味を引いたところは、古代ギリシアの知識とキリスト教の和解について。例えばこんなところ。

世界には始まりがなくてはならないということを証明できると考えた多くのキリスト教徒の哲学者たちがいました。彼らはある種の無限級数の存在を信じなかったためにこのように考えたのです。アクィナスは彼らの議論の欠陥を指摘して、アリストテレスが信じていたように、世界がこれまで永遠に存在し、今後永遠に存在し続けるという考えになんら自己矛盾はないと論じています。人間の理性には、世界に始まりがあったということも証明することはできないとアクィナスは考えます。同様に世界に始まりがなかったということも証明できないと彼は信じており、それが可能であると考えたアリストテレスに反対しています。哲学者としてのアクィナスはアリストテレスよりも不可知論者で、どちらの証明も不可能であると言います。



p.80

そこから、『対異教徒大全』に触れる。これは『神学大全』とは異なり、キリスト教徒向けではなく、異教徒や無神論者に対して行ったということ。

そのねらいとするところは、神が存在する、霊魂は不死であるといったことを信じる根拠を──善意ある人間なら誰でも正当な根拠であることが見て取れるような根拠を──彼らに呈示することにあります。



p.81

つまり信仰や思想の基盤を異にする人たちに対して、どのような議論をすべきか、ということである。ブライアン・マギーはケニーの発言を受けて、分かり易くまとめる。

理性的な議論によって神の存在を証明できるかどうか、もしできるとすれば、その議論はどのようなものになるかという問いです。しかしまず始めに、異教徒に語りかける中世の聖職者についてあなたがいまおっしゃったことに一言付け加えさせて下さい。ある人々はこういったことをキリスト教徒としての義務の一部とみなしました。そして彼らは異教徒と議論する際に教会や新約聖書の権威に訴えてもむだだと悟りました──彼らの相手はそのような権威を受け入れませんでした。


そこで彼らは彼ら自身が確信を持っている議論だけを頼らざるをえませんでした。そして彼らはこういった議論の質に関して自分をごまかしてもむだだと気づきました。なぜなら貧弱な議論はキリスト教徒の信仰を持たない賢者のために一敗地にまみれることとなったからです。したがって、中世の優れたキリスト教徒の哲学者たちが、神の存在を証明する議論ですら痛烈な批判にさらすのをわれわれは目にすることになるのです。──先ほど私たちが話しましたように、これはキリスト教徒の哲学者がなさなくてはならないことの一つなのです。



p.81

西洋哲学の系譜―第一線の哲学者が語る西欧思想の伝統

西洋哲学の系譜―第一線の哲学者が語る西欧思想の伝統