HODGE'S PARROT

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Vanitas vanitatum (Mit Humor)




シューマンの「チェロとピアノのための民謡風の5つの小品 op.102」は、いかにもシューマンらしいファンタジックな魅力に溢れた楽曲。マイスキーアルゲリッチは二回録音している。

シューベルト : アルペジオーネ・ソナタ

シューベルト : アルペジオーネ・ソナタ

シューマン:アダージョとアレグロ

シューマン:アダージョとアレグロ


とくに僕は第1曲が好きなのだが、この曲に添えられている「フモールをもって」(Mit Humor)という作曲者の「指示」は、これまた、いかにもシューマンらしい。リズミカルで躁的な、しかし暗めのイ短調で繰り広げられる音楽世界は、とても印象的だ。

ただ、この「フモールをもって」という指示の前にやはり添えられているラテン語の「Vanitas vanitatum」(空の空)という言葉は、これまであまり気にしたことがなかった。それでこの文句の引用元である旧約聖書の「コヘレトの言葉」(伝道の書)を読んでみたら、シューマンの「奥深いユーモア」に直撃されたような気にさせられた。
新共同訳から引用してみよう。

エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。


コヘレトは言う。
なんという空しさ
なんという空しさ、すべては空しい。


太陽の下、人は労苦するが
すべての労苦も何になろう、
一代過ぎればまた一代起こり
永遠に耐えるのは大地。
日は昇り、日は沈み
あえぎ戻り、また昇る。

この「すべて空しい」(Vanitas vanitatum)に「フモール(ユーモア)を持って」(Mit Humor)と付け加えるシューマンの機知には、音楽/演奏だけでは完結しない/できない魅力があって、さすがだ、と思わざるを得ない。

そしてコヘレトの言葉は以下のように続く。

わたしは心にこう言ってみた。「見よ、かつてエルサレムに君臨した者のだれにもまさって、わたしは知恵を深め、大いなるものとなった」と。わたしの心は知恵と知識を深く見極めたが、熱心に求めて知ったことは、結局、知恵も知識も狂気であり愚かであるにすぎないということだ。これも風を追うようなことだと悟った。
知恵が深まれば悩みも深まり
知識が増せば痛みも増す。