どんな時代にもマナーが滅びなかったのは、それが現実的利益をもたらすからである。
P.J.オローク『モダン・マナーズ』
カウンターカルチャー指向の保守派論客。というのはずいぶんと「両生類的」だが、品の良い行儀の悪さを持った痛快無比のP・J・オロークが最近日本で不遇なのは残念なかぎりだ。
ものを考えるというのは、気晴らしの手段としてあまり上等とは言えない。考えごとばかりしていると、きみの中で、動きの鈍いフニャフニャした大脳皮質が大きな顔をしはじめる。そして、思索とは縁のうすい、肉体的な快楽を味わう能力にすぐれた、機敏で快活な器官(筋肉や消火器など)に、不当な干渉をしかけてくる。
他方、世の中には、もの思いが高じると体系的な理論の構築に走る人間といういのもいる。しかし、この世では「理論的な正しさ」と「社会的な公正さ」は、往々にして正面から激突するものだということは、誰でも知っている。ナチスが、あのゾッとするような概念にこだわらずに、社会的規範を守って行動していたら、歴史はどんなによい方向へ舵を切っていただろう。少なくとも、何百人という人びとを貨車におしこみ、強制収容者へ送るようなまねをしなかっただろう。その代わりに、リムジンでお出迎えということになったかもしれない。
『モダン・マナーズ』
「ものを考える」ということや「理論的な正しさを追求」することは、オロークによれば、本来「マナーに反する行為」なのである。むろんそういう人は「めったに人気者になれない」。
そしてオロークは「よいマナー」と言われるものは文化の違いや国境のへだたりを越え、世界中どこでも通用すると、彼一流のロゴスで述べる。
ロンドンはケンジントン・パークあたりの高級住宅街で「礼儀正しい作法」と認められたものは、パフア・ニューギニアのどう猛なオロカイヴァ族のなかへ持っていっても、立派に格式高い作法として通用する。銃さえ持っていれば、の話だが……。これぞまさしく、西洋式マナーの利点。西洋文明国の国民は、いまなお、地球上に存在する銃器の大半を独占しているのである。
『モダン・マナーズ』
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