HODGE'S PARROT

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他国を嗤うリベラルな「番犬たち」

ほんとうに知らねばならないものについて、ひとは何ひとつ知ってはいなかったのだ。というのは、人びとのもつ教養はあまりにもややこしいものになっていたので、表面のしわ以外のものを理解することができなかったのである。教養なるものはもっともらしく秩序立てられたせ界のなかで微にいり細を穿った探求にわが身をすり減らし、その一方、ほとんですべてのその道の専門家が自分たちの注釈しているテキストを正確に判断することもできない有様だった。錯誤というものはいつでも真実ほと単純ではない。


ポール・ニザン『アデン アラビア』(篠田浩一郎訳、晶文社

共和党ブッシュ大統領が再選した。そして日本人は、まことしやかに再選の理由を「分析」する。いわく、アメリカはキリスト教原理主義の国だと。保守的な倫理観がどうのこうのと。中絶がどうの同性愛がどうのと。

口先だけは、さすがに立派だ。しかし、何故、彼らは、「自分の国」を注視しないのだろうか。
今回のアメリカの選挙では、「同性結婚」が話題になった。大統領も大統領候補も、同性愛について、公式の場で、真剣に議論を闘わせた。

いったい日本で、政治家が同性愛者の権利について、どれほど真剣に議論をしているのだろう。
「結婚(marrige)」については、反対の立場を取るブッシュ氏が再選した。しかしブッシュ大統領は、シビル・ユニオンについては認めるむねをインタビューで応えた。

アメリカでは、「結婚」(のレベル)だけが、同性愛者の権利を認めているのではない。「結婚」以外でも、シビル・ユニオンやドメスティック・パートナー法など、同性カップルの法的権利を保証している制度がある。企業も独自の年金や保険などで同性間のパートナーを異性パートナーと同様に扱っているところもある。共和党の資金源とされる「悪名高い」エンロン社でさえ、ゲイの従業員の権利をきわめて適正に、ある意味模範的に示していたことで有名だった。

いったい日本の会社や役所で、同性パートナーを異性の配偶者と同様に扱っているところがあるのだろうか。それどころか、日本の「職場」は、まず従業員が自分がゲイ/レズビアンであることをカミングアウトできる「環境」なのか?

それができない日本は、キリスト教原理主義の国なのか? 

スペインは国民の90%がカトリックだ。しかし同性結婚を施行する。キリスト教の文化圏である西欧・北欧は、ほとんどの国で、「結婚」「シビル・ユニオン」「ドメスティック・パートナー」「パックス」などで、同性カップルの法的権利を認めている。カナダは? オーストラリアは? ブラジルは?

日本は、現在の/かつてのキリスト教国家以上にキリスト教原理主義の国なのか?

日本では「権威ある」芥川賞という文学賞に、舞城王太郎という作家が候補にあがった。舞城はペドフィリアの犯罪を同性愛者に擦りつけ、同性愛者を焼き殺そうとする小説を書いた。この「ヘイトクライム」を助長する差別小説に対し、文芸評論家は、哲学者は、音楽評論家は、同業作家は、何か指摘しただろうか? 何より僕がこの差別小説を知ったのは、朝日新聞の文芸欄だ。他国のレゲエなどの「リリック」を問題にする音楽評論家は、なぜ自国の「影響力のある」作家については「問題化」しないのか。
いったい、舞城を持ち上げている人たちの「出自」は、なんなんだ?

日本は、キリスト教の「倫理観」に基づいた「狂信的」な国なのか?

「これが、お前らが考える俺なんだ。これが、お仕着せがましい能書を垂れたり、知ったこっちゃない俺についての噂だ。お前らはそんなことで俺を分かったつもりでいたり、俺を馬鹿にしたつもりでいる。だが、分かるか、俺もお前らのゲームを知ってるぞ。だからお前らのゲームなんて、屁でもないんだせ!」。これこそが街頭で働く労働者について「知った振り」する人道主義者や心理学者がひた隠しにしているシニシズムを公然と非難するやり方ではないだろうか? 奴らこそ、こうした事態における本当の意味でのシニシストだとしたらどうだろう?


スラヴォイ・ジジェク『身体なき器官』(長原豊訳、河出書房新社